ブリブリのさらなる人生

無職からどう復活し、その先まで…

ちょっと自分のことを 2-2

最初に入った大会社は、職場長がプライドばかり高い人間であり、同期3名がいっしょだったが、一人だけお気に入りにしていて、あからさまに贔屓。
俺等は、遅刻をしたら減法となったりした。

この上司、それでなくても、俺様な態度で、付き合いたくもなかったので、酒の誘いは断っていた。
それが、お気にだけは断ってなくて…そんなの知らなかったな。
この上司、お前らは仕事出来ないんだからと、頭ごなしに怒鳴りつけてたわりに、しょっちゅう親戚の不幸だとかで、突発休みを繰り返して、どうにもならないやつだった。
仲間内からも、どれだけ親戚を殺すのか?って陰口を言われてたし。

結局俺は嫌われてて、結婚式に招待をしたが、自分の直属職場長が仲人をしてくれたのだが、その職場長になれる寸前で、うちの班に応援に来てた人が事故を起こして、責任者として推薦を受ける事ができなくなった。
その為に、俺の仲人が出世して、職場長となったが、逆恨みもいいところだ。

この頃の話も山程あるので、この辺にしておく。

しかし、この災害が、俺のこれからの経験に役立つ事になる。

この大会社の検査部門が閉鎖になって、工場に吸収される事になり、扱いや環境が極端に悪くなった。
それまで、検査課は別格扱いだったが、いっしょに統合されて、でかい顔ができなくなった。
俺は、最初からそんな顔はしてなかったが、職場の上司たちがそうだったので。

ちょうどその時分、両親があいついで病気になって、実家に帰った方がいいかと迷い、職場の環境も良くなかったから、退職を決意した。

それで、次に基板設計の会社に入り、そこで6年目に営業所が閉鎖になって、通えないくらい遠くの営業所に飛ばされる事になった。
その時に、まったく同じシステムを使ってる、近郊の設計会社に引き抜かれた。

しかし、そこでも年下課長が遅刻のオンパレード。
専務も遅刻の常習犯であり、ずさんな管理の職場だった。
以前と同じ大手の下請けだったのだが、事業部が違ってて、設計仕様も違うから、最初の1ヶ月こそいろいろあったが、ものの3ヶ月で主任になった。

俺が仕事をすると、この上司たちは簡単な仕事ばかりを選ぶようになり、相変わらず勤務態度も悪く、どうしようもないって感じだった。
そこで、そういうのを正すのに、話し合いを何度もやって厳しく意見を言ったが、それが嫌われる材料となった。

この会社でも、新しいCADの導入があって、俺がいち早く立ち上げに参加した…というか、させられる事になった。
それはプロジェクトが東北の寒い地域のもので、そこへ泊まり込みで行って、基本的な操作を覚えてきて、社内に展開した。

すると、用が済んだらなんとか俺にいなくなってもらいたいと、今度は派遣という形で、設計ではなくIT関連の仕事を、片道2時間半の客先でやらせた。
実際はこの仕事も会社としては初めても仕事で、順調に仕事量も増えて、請負で作業できるまでに成長させた。

だが、そこで俺は会社の経営が傾いてるって理由で、クビを切られる事になった。

その後の事は、少し以前にも書いたが…

今回の愚痴はこのくらいにして、これまでの人生の共通点がけっこうあるなと気がついた。

まずは、なんにも無いところからの立ち上げ作業から運用まで担うって事が多かった。

最初の大企業では生産ラインの非破壊検査装置を立ち上げた。
職場でははじめてのQC活動の発表員として、賞を受賞もした。

次の会社、その次の会社では、両方ともに新CADを立ち上げた。
基板会社では、新しい製造方法の提案まで行って、特許を取った。
請負での新体制を構築して、新規受注を可能にした。

クリーンセンターでは、会社の仕様書を作成、所内で初めて改善提案で受賞した。
ホテルでは、マニュアルと仕様書を作り、誰にでもある程度の緊急対応が出来るようにした。


俺の人生は、どこへ行っても新しいものを立ち上げたり、ずさんな管理体制を立て直したりと、そういうことばかりが続いてる。

そして今回も、たった一人で、仕様書もない職場の立て直しをやろうとしてる。

だから、考えてみても、俺の人生はこうやって、安月給の貧乏くじばかりで、しかも、今回は大手の内定を2社も断ってのことだから。

もの好きも程がある。
我ながら、呆れるところもある。
なぜ他が内定してたのに、駆け込みで採用されたこの会社に来てしまったのか…

よく読んでてくれた人ならわかると思うが、この会社、まだ面接段階で、千葉支店から役所まで、現地確認ということで、面接した部長を、俺の車で俺が運転し乗せてやって来た。
まだ他人の状態だってのに、そういうのが平気な会社。

入社後に、立会関係でも問題が生じた。
清掃は、朝早くから昼までの仕事で、責任者が班日で不在。年配者で、PCも使えないと来てる。
そのため、清掃作業の報告書を、設備管理経由で印刷製本して提出しないとならなかったり、立会も清掃は居ないから行えず、設備管理が立ち会う形になっていた。
警備からの意見、清掃からの意見、そして設備管理からの意見があるから、意見の交換会を開いて、問題点の吸い上げを行ってほしいと部長に言うと…

「俺は千葉支店長が癌になって、急遽千葉支店の対応をやってるから、内容なんてわからない。そういうのやっても、よくわからないだけだ…」と言われた。

思った通り、非常識だけでなく、事なかれ主義の自分さえよければ良い上司連中。
こんなんで、どうやっていくつもりか?

そうでなくても、自社の作業用ワゴン車が、すでに廃車状態のまま、役所の駐車場に置き去りでクレーム。
空調機のバカでかいフィルターも、普通ゴミでは大きすぎて出せないってことで、業者依頼してくれと言ってるののに、役所内に置き去り。

一番ひどいのは、作業報告書として、費用がでている作業なのに、2年前のものまで未提出で滞ってる。

やがては、その対応を俺がやらされると思ってる。

俺の人生は、こうやってだめなものをなんとかして、ただの縁の下の力持ちで、前の会社同様に、誰からも感謝されず終わるのだと思う。

それが運命なら、仕方ない、甘んじて受け入れるしか無い。

ということで、ちょっと疲れた2ヶ月だったな〜