ブリブリのさらなる人生

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クラシック音楽通への音楽解説 5 指揮者について(2)

一旦最初の指揮についての話に戻す。

指揮には、合唱、吹奏楽管弦楽といろいろな指揮がある。
少し話をした事があるが、あるオカリナコンサートで、たった3人のアンサンブルなのに、その前に出て派手な衣装で、振りもオーバーな指揮をしてるご婦人がいた。
どうかしてるとしか思えない。
あんたが邪魔で、吹いてる人が見えない。
アンサンブルなのに要らんだろう指揮者など。

指揮が必要なのは、意識を合わせられないような、いわばタイミングがとり辛い変拍子の音楽とか、大勢の人数で意思疎通が必要な場合だから。
自分の教室の生徒なのか知らんが、自分が目立ちたいだけの無駄なパフォーマンス。
こういうのが指揮者として、しゃしゃり出てくるケースが多々ある。
本当にわかってない。

この話は、ただ批判的に書いたのではなく、のちに関連するこの話になるので、書いておくのだが。

そもそも指揮者は、演奏会までに必要な人材で、演奏会になったら、もう用は無い。
それまでに、音楽を作り上げるのに、尽力してもらうだけでいい。
ただ、それは人一倍労力を必要とするものだから、だからご褒美に、指揮台に立たせて目立たせてあげてるだけ。

先も言ったように、変拍子で合わせるのが難しい、大勢の楽団で、個々に意思疎通が出来ない場合は、指揮者は当日も必要だが、入りのタイミング云々だけなら、コンサートマスターでも出来るものだからね。

指揮をすると言っても、過去には合唱など学校で体験した人がいおるかも知れない。
ほとんどが、前に出て拍子を取るだけで、ちょっと知識があるやつは、声が大きい小さい、書いてある記号がどうのこうのと、少し音楽的な話を交えてたかも知れない。

そんな景色は、今は音楽と無縁になった人も、なんとなく覚えていると思う。

そういうちょっとした部分を拡大して、指揮法として解釈していくと、指揮って何なのか?ってわかって来る。

決して、専門的に本を何冊も読んで、高度な学習を繰り返した人が、優秀な指揮者ではなく、ちょっとしたみんなをまとめるような、少しだけ知識があるような態度を醸し出して、クラスの合唱をまとめてきた、そういう人材が、実は指揮者としてけっこう向いてると思う。

とはいえ、その知識は、それなりには必要。

次に指揮者の知識について、話していこうかと思う。