ブリブリのさらなる人生

無職からどう復活し、その先まで…

クラシック音楽通への音楽解説 1

これまで様々な、特にSNSにおいては、自称クラシック通をなる方々をたくさんみかけ、また時には関わる事になった。
その人達のほとんどは、音楽の鑑賞について持論のみを押し付けしている人が多く、クラシック音楽を多くの人に紹介するスタイルをとっておきながら、自己満足の論理を展開する輩が多数いた。

極論から言うと、音楽でもなんでも、自分が楽しければそれでいい。
けれども、誰かと話題を共有しておきながら、あるいは共有しようとして、このスタンスでは話にならない。
特に、自分の知識が相手よりも大きく下回ったりした時に、よく使う言葉が、理屈より感性だ、自分が楽しめたらそれが最上だと、すべてをそれで締めくくろうとし、負ける戦いはしないと逃げることしか考えない。

ここで謙虚に、自分の知識不足を教示してもらったり、指導してもらう事が出来たら、もっと視野は広まるのに、くだらないプライドだかなんだかわからないものを振りかざして、相手の話も聞かないで、一目散に自分の殻に隠れようとする。

別の音楽通は、海外の有名歌劇場で、有名交響楽団に有名指揮者が演奏した楽曲を聞いた経験や、国内の有名ホールでの有名演目でもって、演奏された楽曲を聞きに行ったと、結局音楽そのものではなくて、それを聞きに行った行為そのものに価値があると錯覚し、そればかり自慢している人も多数いる。

極めつけが、有名演奏家、作曲家の親戚だ、知り合いだと言って、これもまったく音楽とは関係のないのに、そういう話を振ってきては、自分でない人間の自慢話を延々繰り広げる人もいた。

自分の家の孫ならまだなんとか可愛いところもあるが、人の家の子供を通り越して、その孫の自慢をされても、おもしろくないどころか、かえって興味もへったくれも無く、話を聞いてるだけで苦痛。

孫の自慢は自分の家族だけでやってくれと言いたい。

他にもおかしな音楽通はたくさんいるが、そんな感じで、クラシック音楽通と称す人達と、かなりかかわってきたが、ぶっちゃけ、これまで音楽やってきました、作曲してます、楽器演奏してます、声楽やってます…って人も大勢いたが、言うだけでその証拠を見せてもらった人はわずかしかいなかった。

それは過去からもそうだが、音楽やってましたって言われても、そうした断片すら見せられない、過去のバンドやってた苦労話もろくすっぽ…では話にならず、そんなのは嘘でしょ?って思われても仕方がないじゃん?

稀に、作曲した楽譜を見せてもらった事があるが、音符がやっと書けてるだけの、本当のこれで作曲と言えるのか?という作品ばかり。
演奏家でピアニストだっていうので、聞かせてくれと言って、渋ってようやく聞かせてくれたのが、とんでもない演奏だった。

俺が今日までかかわりがあった人のなかで、きちんと作曲してますと言って、すばらしいスコアを見せてくれたのは、たったの一人。
ピアノ演奏してますと言って、きちんと演奏できてた人は一人。
それ程、一般的な人の中では、クラシック音楽を語れるって人は少ないのだと思う。

こうした愚痴を言い続けてもきりがないので、本題に入ります。


今回から数回は、きちんとしたクラシック音楽愛好家の為に、もう少し突っ込んだ鑑賞の仕方について解説していきたいと思います。

その前に、クラシック音楽通の定義について少し話したいと思います。
それは俺の主観ばなりになるかも知れないので、あらかじめ断っておきます。

どんな趣味でもそうだが、その趣味を卓越した趣味として充実していくには、ある程度努力も必要になってくる。

その趣味なのだが、俺は大きく2つに分けていて、何も無いところから自分で生み出す趣味と、提供されたものを試行錯誤しながら、自分のものにしていくものがある。

これらは、一口に趣味と言っても同じではない。
何も無いところから自分で生み出す趣味とは、芸術にかかわっているものが多く、その芸術以外が後者だと、大雑把にわけられる。

たとえば、自分は登山を趣味だとすると、山というものが与えられ、それを攻略していくためにはどうしたらいいかを考える。
釣りが趣味だったとしたら、どのフィールドでどんな魚を対象とし、そのためにどんなタックルを用意するなど、与えられるそれぞれの条件に応じて、考え悩みトライしていく。

登山や釣りは、山頂に到達し、魚を釣上げた時には、大変な喜びがあるが、しかし、それらはあくまで与えられた条件をクリアしたに過ぎない。
あ、決して、この趣味がダメだとか、悪いとか言ってるわけではない。
俺も登山も釣りも好きだし今も続けてる一人だから。
だが、芸術となると、話が違ってくる。

作曲にしても、小説や詩にしても、短歌や俳句や、絵画にしても、もともと何もないところから、思い描いたものを完成させる。
このことを考えると、登山や釣りとは全然違う感性が必要であり、膨大な知識が必要だということもわかると思う。

それで、クラシック音楽の話に戻すが、最初に趣味としてそれにのめり込むと言ったが、のめり込むのは、好きな女が出来たときに、その人をいろいろ知りたくなる感情と似ていると思う。

たいていのクラシック愛好家は、最初にある曲が好きになり、それを作った作曲家について知りたくなる。
その後は、その楽曲を演奏してる指揮者や、オーケストラを知りたくなり、やがては音楽そのものについて探求するようになる。

その音楽のスコアを買って、スコアを読むためには音符を理解しないとならないので、楽典や音楽理論の本を購入したりする。

楽器も何もやったことが無い人は、楽器をやってみたくなり、また音楽に合わせて指揮者のまねごとをやってみたり始めるだろう。
これが一般的な愛好家のする事だと思う。

しかしながら、今言ったこの事がきちんとできてないのに、愛好家だと豪語する人がいる。
たとえば、音符も読めないけどね~と、堂々と言う愛好家。
焼き鳥屋の、焼き方なんかにはうるさいくせに、そういう事には開き直る。

長くなりそうなので本筋から言うが、愛好家なら、音符が読めて当たり前。
スコアの10冊も購入してて当たり前だから。

楽譜はわかかりません、こっちは聞く一辺倒ですから~って?
なんじゃそれは?
あれだけこのラーメンの味噌は特別の合わせ味噌で、北海道から麺を空輸してて…なんて蘊蓄を事細かに語ってた人がだ。

ようするに、好きになったら、とことん知りたくなるのが趣味だって言いたいんだけど。

好きな女が気に入ってるって食べ物は、自分も食べてみたくなるし、デートのときには、彼女の好きなものがある居酒屋をセッティングしたりするもんだろ。
そういうの考えてるだけで、こっちも楽しくない?

クラシック音楽は、音楽を聴くだけが楽しのではない。
その音楽の背景や、音符そのものの景色をも楽しめなければ、クラシック音楽ファンと言うには、ちょっと足りてないんだよね。

能書きが長くなったので、音楽についての解説は次回にします。
次回は、最初からストラビンスキーの春の祭典について、ちょっとだけ話をします。

って、誰も最後まで読んでないね(笑)