ブリブリのさらなる人生

無職からどう復活し、その先まで…

Diary of my life 90

7月31日月曜日。

今日はお茶漬けを食べて出勤。

昨夜から食べ過ぎか熱中症かわからないが、胃の具合が悪く、体調が今一で、体もだるいしって感じで、夕飯はちょっとしたサラダと、スイカだけだった。

焼きそばパンを半分か。

年のせいかな、本当に回復が悪くなってるなと思う。
それでも、どうせ考えるなら、良い事を考えようと思うのだが、気力がついてこない。

なんか、アバンチュールのような楽しそうなことは、もう一生ないのかな(笑)

さて、今日はなんら問題も起きないで、俺が体調が悪いからか、静かに一日が終わる。

主要な点検と、自動販売機の検針をやって、その販売機の表の一覧が欲しかったので、自分で作る事にした。

これで、基本的に手書きのものは無くなり、すべてPC管理となる。

来月のスケジュールについても、結局害虫駆除の予定がわからない。

なんかな~と思う。
外交をあおって、スケジュール出しをしろって言いたいところだけど、このいい加減な会社じゃさ、誰も面倒は嫌だって態度だし。

女の子に頼むのも、期待してないので、そのまま流すしかないかなって。

明日、仕事が大変そうなので、今日はとりあえず、残業することにした。

ってか、今日はデスクワークで、体調はそれなりに今一だが、1時間残業と言っても、正味20分の仕事だしね。

なんか、気力がわかないが小遣い稼ぎで頑張るしかない。

 

それで昨夜の事だが、夏の納涼会とか、昔の吹奏楽時代からの友達と、いつもやってたはずだけど、どうした?ってかみさんから言われた。

それで、ちょっと体調不良で、気分的にも落ちてたってのもあったが、事情を話した。

今回LINEをブロックして、相手からの連絡を切った事を話した。
かみさんは悪魔のような人だから、どうしてだ?とか文句を言うかと思ったが、黙って聞いてるので、俺もこの機会に、本当に思ってる事を話しておこうと思って、その昔から引きずってた事を話した。

高校時代、遠距離で千葉から通ってる吹奏楽の同じ部活動の3人が、同じ電車でいっしょに通うようになって、それぞれが彼女なんか出来るまで、かなり長くつきあってきた。

中でも、Nとは、音楽感もいっしょで、音楽に詳しかったから、俺と意見が合った。
もう一人のAは、当時から自分本位な人間で、この前書いたように、時折3人から離脱したりと自由奔放と言うか、我関せずといった性格だった。

それが、高校3年になってから、Nが荒れだした。
事情はわからないが、恐らくはクラス編成の問題だったと思う。
当時の通ってた学校は大学の付属だったが、キャンパスがついてない準付属というスタイルだった。
それで、付属大の共通テストを受けると、点数に応じて、大学の学部に推薦してもらえるシステムだった。
俺は数学が苦手で、そういうのを3年になってまでやるのは嫌で、必死に勉強して、3年生は文系の進学クラスに入った。
Aは理系の進学クラスに入れた。
けれども、Nだけは一般クラスだった。

それが発端だったような気がする。

それで、同じ部活動の、事もあろうに俺のパートのやつと喧嘩になって、殴る蹴るで大変なことになった。
止めに入る間もなく同じパートのやつが崩れ落ちて。
この時には、先生に呼ばれ叱責だけで済んだが、当然、同期からは口も聞いてもらえない状態になる。

Nはちょっとガタイが大きくて、腕力もあった。
自分でも喧嘩には自信があるとか言って、口論から手出す事が多くなっていった。

それで、俺のパートのやつだけでなく、別のパートの人間に手を出して、今度は打ち所が悪く、歯を折ってしまい、けっこうな怪我を負わせた。

このことは問題になったが、顧問が停学をもみ消して、Nが坊主にすることと、医療費を出すことで決着がついた。

だが、それでも終わらなかった。

今度は俺だ。

俺は学生指揮者で、Nはドラムメジャーだった。
音楽的な打ち合わせは必ず必要だった。
そこで意見の対立をしてたわけだが、今思うと、俺の言う事の殆どを、反対してた節もある。

ある日、演奏会でやる曲の話を後輩としてると、そこへふざけ半分に別の後輩とじゃれてたNがやってきて、俺たちに体当たりしてきた。

真面目な話の最中だったので、何すんだよ!と俺が言うと、いきなり殴りかかってきて、お前のそういう態度が、前から気に入らなかった…と言われた。

体格も違うし、一発やられて俺はその辺に飛ばされ、倒れて背中を強打して、息が出来なかった。

なおかつ俺を殴ろうとしてて、それをみんなで止めて、後輩が顧問の先生を呼びに行った。
そうか、前から俺が嫌いだったのかよ…

ま、俺もそうだったから、同じ嫌い同士だったのだと、その時思った。

時期が悪くて、まあ、いさかいはこれだけではなく、そういう俺達のやる気がないとかで、顧問がへそを曲げ、結局コンクールにも出られなくなった。

これも、昔の顧問の暴挙としか思えないが。

この時にも、Aと帰宅途中で、彼女の話なんかで盛り上がってるときに、Nが合流して、話の途中から加わったから、自分が理解できない話をしてたわけで、普通だったら、何々どうした?って事になるが、俺らの話が気に入らないと始まった。
要するに、常に自分が中心じゃないと、いられないって状態だったんだと思う。

コンクールに出られなくなったのは、そういう彼女とかに浮かれてる俺や、Aのせいだと。
電車の中で、俺たちに説教をはじめて、こいつ自分を棚に上げてよく言うよと思ったが、もう下車駅近かったので、黙って聞いて黙って降りた。

それが、俺がこいつとは理解しあえないと思った決定打だった。

高校卒業してから、もうこいつとは連絡を取らなくなった。

しかし、これからがまた色々あった。

複雑な話になるので、途中は大きく端折るが、Aが、今や誰でも知ってる超有名犯罪新興宗教に入信し、夜中でも勧誘電話を俺たちにかけて来るようになった。

その件について、Nから連絡があった。

ちょうど高校卒業して20年くらい経過してた。
それで、NとAと俺の三人で会って、しっかりその辺を話そうってことになった。

20年ぶりに再会して、浅草で歓談する事になる。

その時にはAいわく、もう組織からは抜けていて、遠くの地に引っ越したので、迷惑かけて悪かったと謝罪があった。

Nからは、高校の時に俺を殴ったことについて、申しわなかったと謝罪された。

一応、これで手打ちにしようと、その時には話をしたが、俺としては口ではそう言ってても、Nのとんでもない行為は、そんなもので済まされる事でな無いと考えていた。

それから三人で会うようになった。
高校時代に比べ、みんなだいぶ落ち着いたようには見えた。
それはそれぞれ家庭も持って、会社でもそれなりの立場になったわけだから。

しかし、こいつらは大会社のまま頑張ったが、俺は営業所が閉鎖、会社が倒産と、転職を余儀なくされて、悩みも多かった。

ある時に、俺が会社が潰れそうで…と三人の飲み会で愚痴をこぼした。
するとNが、酒がまずくなる話ばかりするな~お前は…と。
そういうのは、別のところでしろや…と来た。

こんなの友達かね?
いや、友達と思ってないのに、付き合ってきた自分が悪いのだけれど。

このときから、カラオケとか行く友達も他にいないし、適当にその時に楽しければそれでいい、都合の良い友達と思って、付き合っていくことにした。

Aにしても、飲み会をやろうって話を振ってきたことは一度も無い。
だいたいNか俺が段取りして、飲み会をやってきたが、それも、この前書いたので割愛するが、再び新興宗教にはまってる疑惑がAにはあった。

それから昨年、俺が会津のホテルに転職し、そこで病気になって入院。
会社も傾いてたし、思い切って仕事を辞めて、こちらに戻ってきた。

そこで、この前の話になる。

俺はすぐ就職できるだろうとハローワークへ通ったが、世の中はそんなに甘くなかった。
いろいろな努力を重ねて、ようやく就職できたのだが、そのくだりは何度かここに書いてきた。

そんな中で、就職したらまた1年生だから、有休だって僅かだろうし、休めなくなるから、その前に、念願の金沢へ三人で旅行しないか?って話を振った。

NとAは、考えてみると言ってたが、特にAは、三月四月は忙しいとか言い訳をはじめて。
忙しいわけないんだよ。
こいつが事務方やってたのは数年前までで、今は会社の下請けの管理会社へ飛ばされてる。
Aはそこで、独身寮の管理をやってるだけで、決算期とかもう関係ないんだよ。
それは、とっくに自分で酔った勢いで言ってたことだから。

それに、60歳で先に定年したこいつが、これまで以上に大変な仕事を当たられるか?ってはなはだ疑問。
給金も減り、仕事も減るのが自然というものだから。

こいつは嘘つきだから、どこまで信頼できるかわからないし。
いまだに、キセルまがいな二重定期でもって、改札でああだこうだと説明して、ようやく出てくる始末。
それをずっとやらかしてる。

高校時代はこいつのカンニングのおかげで、連帯責任で吹奏楽部員が全員ぼうずされた。
駅そばはただ食いして、見つかって逃げて、俺たちが友達だってことがわかって、俺たちまで捕まりそうになった。

挙句に、地下鉄XXX事件の新興宗教に入って、住んでるところを追われて、あちこち転々としていた。

悪いが、改心したとか言っても、信頼できない。

繰り返しになるが、高校時代吹奏楽のドリルの全国大会で行った金沢に行こうって言いだしたのはNだから。

それに乗って、3人で行こうと決めた。
それも、今年はじめに、俺が戻ってきたときにも、その話になって行こうって事になった。

で、俺が実際に行ける状態になったのに、結局行く気なんて無くて、Aは仕事がどうのと嘘をつき、Nに関しては、自分のかみさんも行きたいと言うから、いっしょだったら行くと、わけがわからない理由をつけてきた。

もうその段階で、俺はさじを投げる気持ちだったが…

結局Aが、それは行けないからと断ってきて、俺もかみさんは平日仕事だから休めないから駄目だと断ると、それっきりなんの音沙汰もなくなった。

それで、この四月になって、旅行もいけなくなったし、アルプス交響曲N響の定演でやるんで、チケットが取れるから行くか?とNに振ってみた。

この曲は俺も実際にステージで聞きたかったもので、Nも前から聞きたいと言ってた。

それがだ、定年のお祝い旅行を会社が用意してくれたので、その旅行に行くから、該当日の土日はダメだと言ってきた。

どういうこっちゃ。

俺達の旅行には行けないが、会社の慰安旅行は喜んで行くわけだ。

それで俺はすっかり萎えた。

やっぱ、なんだかわからないが、飲んで話せば、昔のバカ話が面白いので、それで付き合ってきたけども、でも、友達じゃなかったんだなと思う。

それで、母校が甲子園に出場する事になり、グループラインにNから、母校が甲子園だ…と一言あった。

お前の就活どした?とか、そういう話じゃないのか…と。

ま、友達でないと思えば、それは普通なんだし、言い辛いことと思われてるなら、なおさら友達でもない。

なんだか、昔からの色々を考えてたら、面倒な気持ちになって、いっそ目の前から消えてくれたらと思って、LINEをブロックした…

そんなふうに、かみさんには話をした。
もっと、ここには書けない事まで、細かく話したから、けっこう時間がかかったが。

するとかみさんが、
辛かったね…と一言いった。

悪魔のような一言ではなかった(笑)

なんか、俺も全部話したので、ちょっと気持ちが軽くなったかな。

結局、俺は本当の意味で、友達と言える人が、一人もいなくなった。

仕事も一人ぼっちで(笑)

人生、面白いもんだなと思う。

これも、俺の自業自得でもあるし、願っていたことなのかも知れないし。

終わり。