ブリブリのさらなる人生

無職からどう復活し、その先まで…

芸術の提供する側の責任と、それを受ける側の責任

提供する側の責任と、それを受ける側の責任

特に芸術的な話になるので、興味のない人はスルーしてください。


ある詩の話で、若い頃議論した事があるが、それはとても懐かしく、思ったことを率直に話が出来て、そしてお互いに理解した上で話しを戦わせるから、それが価値有る論議になる。
それは、お互いがそれなりのレベルにあるから出来ること…ってのは、わかってくれる人はいるかも知れない。

実際、俺のものだけでなく他の人の詩を読んで、こういうのは自分がいいと思ったらそれで良いんだと、言葉を締めくくり、こちらの話など聞く耳を持たなかった人がいた。

それはそれでもいいが、まずもってして、鑑賞だけする側がどれだけのスキルを持ってるのか?、どれだけの器を持っているのか?ってことも、意見を言うなら必要って話。
要するに、まるで知識もないのに、いいだ悪いだと言う事が、そもそも言う資格が無いというものだと思う。
簡単に言うと、それが聞き手の(受けて)知識と理解力ってことになる。

仕事でもそうだが、なまじ知らない人間が、持論を振りかざしてああだこうだ言ってくると、百年早いよって思うだろう。
それは、こうでなくてはならない理由と言うものが、実はそこに介在してる。

料理なんかもそうだ。
どういう手順であっても、完成品がそんな景色でもって、そんな味だったら、それはそれでよかったねって話にはなるが、しかし、まがい物でなく、本当のきちんとした完成形を作りあげるには、こうでなければならないという最低限な部分だけは、守らなければならない。

さっきの仕事の話でも、手順はどうあれ、これで良いんでしょ?ってのが通じる部分と、そうでない部分が存在してるから、その判断をするってところからも、いろいろとむずかしい熟練や、経験が必要となって来る。

そういうのを度外視して、ただ見た目や…総称して上辺だけを観て、全てを知ったような態度を取る人が、実はけっこうこの世には多い。

その理由はさまざまだが、芸術をたとえたら、やはり他の人への見栄ってのも否めないだろう。

提供する側の責任と、それを受ける側の責任。
提供する側、それなりのクオリティが必要なのが言うまでも無い。

しかし、 現実は、自由鑑賞だからと言って、全てが自由であるわけではない。
その部分を聞き手の責任…と俺は言ってる。

詩の話に戻るが、どう鑑賞してもそれはかまわないが、読み手も、最低限の詩の形式や種類、様々な技法などを、たくさんの詩を読み解いて学んでおく必要がある。

音楽芸術などもそうで、音楽の形式や技法を学び、本当のクラシックファンならば、音符ぐらい読めなくては、もぐりだと俺は思ってる。
そうでないと、いくらすばらしいオペラを聞いたとて、音楽の本当の素晴らしさは理解できないし、まして、総合芸術を理解することなど困難。
なのに、こぞって有名ホールに綺麗なドレスを着て、でかけたがるご婦人が後をたたない。
たいした知識もないのに、見栄を張りに行くだけ。

でもね、そういうホールに行くマナーが、ある程度でも出来てる人はまだいい。
この前は、俺の前の席で、いびきをかいてた人がいたからな…

脱線したが、芸術の解釈はそれぞれあるが、繰りかえすが基本的なことを知ってて当たり前で、それをある程度勉強して、より広く音楽鑑賞をする事が、受けての責任なんだと俺は考えている。

音楽や詩は、その価値観はだいたいの人間が、紙切れや実態のない空気といっしょだと思ってて、それが、すばらしい絵画や、美味しいケーキを作れる人とは一緒にはならない。
これも、同じ土俵ではないからと言う人もいる。

しかし、だからこそ、芸術音楽は一般の人には理解がむずかしく、さらに別の意味で、空気といっしょって事になる。
このSNSでも文学の真の芸術家と言えるのは、ポラリスさんだけで、その他詩を書いてる人もいるが、あら方、作文の延長だ。
あんまり言うと怒られるからこのくらいにしておくが、そもそも一般的には理解されないのが、こうした文学や音楽の芸術だから。

ケーキを作るのが得意と言う人がいても、作ってもってこいとは言ったりはしないだろう。
でも、詩や音楽は、出来上がったらきかせろよと、躊躇なく上から目線で言われる。
それだけ、存在が希薄だってことなんだと思うし、そもそも、それを作る側の人間が、どれだけ大変な思いをしてるかなんて、誰もわからない。
もっと言うと、ケーキを作って持ってきてくれたら、悪いなと思っておかえしをしたりするけども、音楽や詩を差し上げても、ありがとうすら言葉ももらった試しがない。

残念ながら、芸術家として認められる人は、自分が見てもこのSNSには、俺以外に一人しかいないのだから、所詮はまともな音楽を伝えることなど、無理なんだと思う。

思ってはいるが、しかし、どこかに一人でもそういう人がいるかも知れないと思って、youtubeを立ち上げ音楽を公開してる。

尊敬する天才のポラリスさんは、自分に向かって書いてる…とおっしゃっていた。
その言葉だけでも、大変難解で、書かれた記事をきちんと読み解いていかねば、理解は難しいものかも知れない。
記事を見ても、コメントはほとんど入らないし、書かれていても、それから身になる要素を俺はあまり感じ無かった。

俺の部屋にも、ほとんどが同じような雰囲気だと思う。(雑記事は別として)
しかし中には、ほんとうにまれに、真面目に感想を書いてくれる人もいる。
今回も、ポラリスさんからは、短い伝言の中に深い恩愛を感じた。
さらには、この文章のなかに、どうして海のように広い言葉を綴れるのか…と、ただ言葉を失い涙した。

長くなったが、自分自身はまだ自分に向かうだけのものはないし、アウトローで欠陥だらけの成長しない人間である事は、十二分にわかっている。

しかし、作品は俺の気持ちとは裏腹に、予期しない状態で出来上がり、一人で浮かび上がっていくように思う。

厳しい話をしたが、世界を広げたければ、自分自身が勉強を重ねないと、芸術を理解することはむずかしいと思う。

もはや、最後まで読んでる人もいないと思うが(笑)