ブリブリのさらなる人生

無職からどう復活し、その先まで…

Diary of my life 224

12月16日土曜日。

今日は朝起きて顔を洗って、朝ごはんは担々麺を食べようと料理を開始したら、何やら親父の部屋で騒いでて、かみさんが、お父さん変だから!と俺に言いに来た。

親父は91歳だから、もう色々ある年齢だ。

それからすぐ、かみさんが救急車を電話して呼んで、その間に、俺がどういう状態かって話を聞いたが、84歳のおふくろは、どうもきちんと説明が出来ない。
いしちおう、身体がなかなか動かないと親父が言ってる。
歩くのも困難て感じだった。
おふくろの、しどろもどろをだいたい把握して、結局、7時半頃具合が悪くなって、立てなくなったということにしようと。

救急車が来る前に、保険証と、診察券と、お薬手帳を準備しろと俺がおふくろに言うと、わからないと…

しょうもない。
おふくろは、15年前と、2年前に救急車で運ばれてる。
散々自分のときに、それがわからなくて俺たちが苦労したので、それぞれきちんと一緒に保管しておけと、あれ程言ったのに。

どういうこっちゃ、と俺が激怒。

おふくろは、常識もないので使えないから家で留守番させることにして、かみさんは車の運転が出来ないので、救急車に乗って行くことにし、俺は救急車が行った先から戻ってこれないので、急いで着替えて、車で行く準備をした。

救急車が到着して、はやり親父は立つのがやっとという感じで、なんとか俺がかかえて、玄関まで出して、救急隊員がストレッチャーに乗せた。

救急車が行き先を決めたら、俺に連絡してくれることになってて、それで病院が決まって出発。

俺の方が先に病院には先に到着するも、駐車場に入れてる間に救急車が到着。

俺が病院入りいぐちに行くと、救急隊員がいて挨拶して、さてどこへ行ったか受付で聞くしかないかなと思いきや、入り口脇の自動ドアから誰かが出てきて、そっちを何気なく見ると、奥の方にかみさんが座っているのが見えた。

ここか?

その入口から入って行くと、その先が救急の処置室になってて、家族はそこで待たされてると、かみさんから話を聞いた。

一通り親父の状況を聞き終わったあと、かみさんから、よくここがわかったね〜?と。

これこれこうで…と話をすると、やっぱ、目に見えない力が働いてるだね…と。

それからそこで2時間待って、以前のおふくろのときにも、2時間くらいかかったから、そのくらいと思ってたが、だいたい同じくらいの時間で、中に通されて先生から説明があった。

とりあえず、脳にと血管は大丈夫だけども、心臓と肺がいまいちだって説明だった。
ただ心臓はそれほど悪くはないから、そっちは主治医の指示を仰いでくれってことで、肺の治療は相談だと言われた。

ガンとかではなく、年齢的なものと、肺の炎症だってことだった。

酸素不足で動けなくなったんだろう。
ここのところ、咳したりしてたから、悪くなってたんだな。

それから親父の寝かされてるベッドのところまで移動。

点滴してたが、顔色も大丈夫そうだった。

それからトイレに行きたいと言い出して、俺がついていったが、看護師に検尿あるかもだから、尿を取ってくれと言われ、なんとかそれも出来てたからよかった。

かみさんも、男子便所だから、俺が一緒で良かったと。

ただ、まだふらつきがあって、転びそうになるのを抑えたが、介護はホント大変だって、たったこれだけで思い知った。

やばいよな…

そこから内科へ。
結局、足元もおぼつかない親父を、これ以上見るところないと言われて、連れて帰宅することにんなった。

満足のいく説明もなく、帰されてもね…って感じで。

今日は、次女の家の七五三で、神社でご祈祷のあと、レストランまで予約してもらってた。
とりあえず、侍女たちもレストランはキャンセルして、ファミレスで食事するからと言われたので、次女の婿の農家の野菜たんまり持っていけって言われてて、それを取りに行く前に、最近ご無沙汰の家系ラーメンに行くことにした。

こちら、行列覚悟で12時に入店したが、なんと、すんなりと座れて驚く。
そこからいつもの通り、大混雑となった。

朝から大変だったから、ラーメンはなんとか神様が融通してくれたかなと。

それで、次女の家へ行って、孫連れてクリスマスプレゼントを購入して帰宅。

なんだかぐったりと疲れた。

夕飯のときにも、親父が徐々に体調が戻ってきたと言ってるから、少し飲もうかなとかみさんとワインを飲んだ。

そのまま、早めに就寝。

大忙しの一日だった。