ブリブリのさらなる人生

無職からどう復活し、その先まで…

自分のストレスについて

自分のストレスについて、書いておこうかと思う。

これは一部、オカルト的な俺の主観が入ってるので、だいぶ現実から逸脱する話になるかもしれないが、そう言う話しが嫌いな人は、このままスルーしてください。

まず、人間は現在生きている間に、自分が犯してしまったこと、また、前世で犯したことも、それは全て自分のカルマとして 自分に降りかかってくる。

今生きている間に…と言ったけれど、俺自身の経験から、通常前世でのカルマを刈ることだけでなく、自分が生きているこの時間の中で、過去に犯したことと同じことが起こってしまう出来事があった。

例えば、若い頃仕事のできない上司に対して、偉そうな傲慢な態度を振る舞い、若気の至りだったか、暴言まで浴びせてしまった。
それから20年経過して、自分が上司になり、全く同じことを、自分の部下からやられたことがあった。
それは非常に悔しい思いをした。
しかし俺は鮮明に、その昔自分がやらかしたことを覚えていた。
言葉もなかった。

そうして考えてみると、自分ではどうにもできない理不尽なことが、俺の人生の中で様々付きまとってきたように思う。

それらは前世で、俺がその人や他の人間にやらかしてきたことだったのかもしれない。
それを不平不満で押し返して、最悪なかったことのような顔をして、ごまかして過ごしてしまったら、それは次の人生でまた俺に降りかかってくることになるんだろう。

人間が人間に生まれ変わることは非常に尊いことと同時に、とても難しいことだとお釈迦様はおっしゃってる。

というのは、俺が一人旅で奈良の薬師寺でふらふらしていたら、お坊さんに捕まって、もうすぐ尊い話が始まるから聞いていけと言われたことがあった。
別に時間に追われてたわけじゃないから、 お坊さんの話でも聞いていこうかと、案内されたのが、あの有名な薬師三尊の仏間だった。

そこでの話は生まれ変わる確率についての話だったが、この話は俺が外部のブログで書いた時に、物好きな俺のブログをよく読んでる人から、ある新興宗教がその話を取り上げ、主軸の説法にしているから、勘違いされるから、できるだけその話をしない方がいいと言われた。
とても古い友達で、こっちの方面にも強いので、信頼からアドバイスに従った。

しかしここで一つ、数年経過したからその話をしておこうかなと思う。

「大海の底にすみ、100年に一度だけ海面に浮かび上がる目の見えない亀が、波間に浮かんでいる1本の木に出会い、その木の穴に偶然に頭を入れる事の難しさ…という仏教の説話から。
極めてまれにあうこと。
容易になしがたいこと。
めったにない幸運にめぐり会うこと。
仏または仏の教えにあうことのむずかしさをいう。」

これはネット検索すれば簡単に見つかるものなんだけども。
あえてその新興宗教の方で使われているタイトルは載せることは避けた。

本題に戻すが、人間が人間に生まれ変われるというのは、非常にそのような大変なことなのだという。

またお釈迦様は弟子と一緒に道を歩いてる時、地面の上にしゃがんで、土を爪の上に乗せ、弟子に地面の土と、この爪の上に乗った土と、どっちの方が量が多い?と弟子に聞いた。
それは地面に決まってるじゃないですか?と弟子が答えると、人間に生まれ変われるのは、この爪の上に乗せた土の分だけだよ と答えたという。

それだけ人間に生まれ変わるのが大変なのに、人間に生まれてきた人たちは、人間に生まれてきたことを感謝することは、あまりないのかもしれない。

特に俺は今も、できれば早く人生を終わりにしたいとか、そんなことばかり考えてる。
それについても今度 詳しく書くが、人生のうちで何度か死にかけた人は、とかくそういう傾向に流れていく人が多いという。

それでどうして生まれ変わるのかという話になってくる。

俺が今話してる話は、これまでの人生の中で様々にいろいろな事柄を学んで、その中で自分がこうではないか?と思ったものを、まとめています。
最初に言った通り主観でしかないから、もう一度こうした話が嫌いな人は、この先も読まずにスルーしてください。
 
まず生まれ変わりについてだけど、 あんまりいろいろ書くと長くなるんで、 要点だけ書いておくけれど…
 
と思ったけど、やめておこうかな(笑)