ブリブリのさらなる人生

無職からどう復活し、その先まで…

娘たちに教えてもらった音楽への考え

娘たちに教えてもらった音楽への考え

俺はクラシックが最高の音楽で、特に大オーケストラこそ芸術だと思っていた。
基本的にそれは変わりないかも知れないが、いろいろな音楽と出会って考え方が徐々に変わってきた…

高校の吹奏楽に入って、クラシックのポップスアレンジを聞いてそして吹いて、なんてくだらない曲をアレンジするのもだと呆れ返った。
自分のやってる吹奏楽でさえ、オーケストラ曲を模倣した、しょうもないアンサンブルとしか思ってなかった。

でもやってるうちに、自分がその世界に深く浸っていくうちに、何か自分が間違ってる事に気がついてきた。

決定的だったのは、ブリジストン久留米がシェへラザードのアレンジをやった時には、こういう大胆な事をよく考えられるものだと、自分自身の作曲技量と照らし合わせて考えた。

音楽の世界観は、何か衝撃的な事が起こって、それで変化していくものだと思う。

その後、今に繋がる衝撃は、娘が小学生になって合唱で歌ってるのを聞いた時だった。

それまで、吹奏楽コンクールでは、プロ顔負けの演奏を当たり前のように奏でて、そして賞をもらってる団体がたくさんいて、その演奏会に出かけてはすごいなと思った。

でも、地元の高校生の演奏会などに足を運んでみると、そんなに上手ではないけれど、何故かその毎年金賞を取ってる団体よりも、何かすばらしい感動がある事に気がついた。

それは、高校生が学生らくし、自分たちが楽しく演奏する、そういう音楽こそが、やはり音楽なんだろうと俺は思った。
先生に練習を強いられて、毎年金賞を取る事を、自分たちの使命のように、無理矢理やってる感がある事も否めないのではないかと思う。

ただ単に、余裕でやっていたらそれで楽しいというのではない。
自分たちも、Aクラスでは無いにしろ、Bクラスのコンクールでもいいからトライして、そこで成績にこだわらず、一生懸命目標に向かって努力する事が、学生らしい音楽に繋がるのだと思う。

上手な演奏を聴きたいなら、プロのコンサートへ行けばいい。

かつて、次女が高校で吹奏楽をやってた時に、3年生のコンクールに出場するのに、俺に学校から依頼があって吹奏楽の指導をしに行った事があった。

有名高校の大きな楽団にはまったく及ばないけれど、それぞれは楽器を楽しそうに吹いていた。
音楽として形になればそれでいいかなと、俺はとにかく楽しく曲作りをした事を覚えてる。

話は戻るが、小学生になった時の娘達は、高学年になるにつれ、どんどん合唱曲も高度になっていった。
中学生になると、市民会館を借り切って、学校内でのクラス対抗の合唱コンクールが開かれて、かかさず聞きに行った。

優勝しても、何ももらえる事もないけれど、そこで歌う楽しさは格別だったと思う。
この合唱を聴いて、俺はこれまでの自分を大きく恥じて反省した。

音楽は、芸術性だけではない。
大切なのは心だ。

しかし、何も勉強も無しに、ただ楽しく歌っていればいいのでは決してない。

子供が中学の時にも、学校から依頼されて、合唱曲の演奏の注意点など、譜面に赤書きした。
学生達はそれを一所懸命学んで、そして自分たちで向上していった。
誰が書いたかもわからない赤書きを、きちんと理解して、そしてどうしたら上手くいくだろうと悩んで、その結果楽しく充実した合唱が完成した。

それには俺も感謝した。

その時分に、NHK合唱コンクールの課題曲で、「スケッチブックの空を」という曲を入手した。
娘達にも聞かせた。

音楽としても、そして歌詞についてもすばらしいと思った。

作曲は平吉毅州さんで、それが尊敬する交響変奏曲を作曲した作曲家。
あれだけの現代音楽を作りながら、メインを合唱にシフトしていったその心境はなんだったのか…
俺はこの曲を聴いて感動し、平吉さんの心境を知った気がした。

詩もまた大切なファクターだ。
NHK合唱コンクールの初期の方は、まだ芸能人の曲が取り上げられてない時代で、その頃は合唱の音楽の質が少し高かったように思う。
詩もそれと連動してる。

歌詞ではなくて、詩を、音楽にむすびつける方法でもって成立させていたので、当然曲だけで詩が足りないとか、頻繁に発生する。
俺も歌詞をやっていたので、その苦労はよくわかる。
足りない所は、だいたいヴォカリーズで埋める事が多い。

詩は、歌詞にはなかなかなり得ない。
それぞれは別の世界観を持ってると考えた方がいいと自分で歌詞を作って思った。

詩 は高度な芸術で、世界に類を見ない短詩形態の短歌など、音楽の芸術性が高いものには、特に使われる傾向もあるが、そもそも詩自体は、それで完結化している ものだから、音楽などの表現と合体する必用もなく、かえって合わさったことでのマイナスしかないと、あくまで俺はだが思ってる。

しかし、最初から高度な芸術性を求めないで、作詞という音楽とのコンビネーションを総合的に考えた場合、その世界のおいての詩は生きてくる。

「スケッチブックの空を」は、詩だったものだけれど、何故か平吉さんのテクニックで、最初からこの曲のものだったように俺は感じた。

そして、それを楽しむ子供達の顔が、音楽と詩とマッチしていてすばらしいと思った。

言ってる事はかなり矛盾してるけども、いろいろそんな風に思って、ひさしぶりに合唱の曲を今聞いている…