朝起きたら体調がけっこう悪くなってた。
だけども、ここは行っておかないとと、栄養ドリンクにかぜ薬を飲んで出動。
俺は隣の県の高校に通ってた。
通学時間も片道1時間以上もかかってたが、それでも、ま、馬鹿だから仕方ないと思って我慢した。
その時に、吹奏楽で同じ千葉県から通ってたのが、今つきあってる2人。
学校のいろいろは長くなるから割愛する。
俺は吹奏楽時代は、学生指揮者で、当時県の13高校が集まって合同演奏会もやってたが、そこでも代表指揮者として選ばれた。
他の指揮者は、いろんな学校から選ばれてきた、代表選抜の連中を前に、気を使った指揮をやらかしてたが、俺は自分にとことん自信をもっていた、驕れたとんでもない野郎だった。
俺は、特にクラリネットなど、大勢でもって演奏するセクションには、ひとりずつみんなの前で吹かせて、音が違ってることを指摘したりした。
それは最初から考えてのことで、そうすることで、指揮者からの指示は、絶対だと思わせる狙いがあった。
他の学校は、コンクールに出てない学校もあって、かなりいい加減な部分も多々あり、上級生と下級生の人間関係も緩慢で、そういうところは音楽が成立してなくても、それでいいと言うスタンスだった。
俺は、譜面が吹けてから、はじめてそこから音楽を作っていくんだから…と何度も言ってきたが、そういう学校から代表で来た連中は、譜面すら吹けてないのに、代表で席に座ってた。
それどころか、俺からの嫌がらせや、今で言うパワハラだと、けっこうは抗議があった。
俺も、顧問から呼ばれて、他の学校には遠慮しろと注意を受けたが、誰が言ったかわかっていたので、その人間を無視し、他の連中だけで音楽を作って行った。
俺も傲慢で、しょうもない頑固者だったと思う。(今もか(汗))
最初は批判的だった連中も、自分できちんと練習してこないと、合同練習の時に俺に怒られるから、きっちりうやってくるようになった。
頭のいい学校のフルート吹いてたやつが、俺のところに来て、フレージングを教えてくれとか、他の指揮者が俺に指揮を教えてほしいと、自分が担当でない日程もやってきて、俺の練習を見ながらメモを取ってた。
やる気がある連中は、俺のやる気を汲み取ってくれてたと思う。
またも、上から目線な言い方で、申し訳ないが、これは俺のブログだから(笑)
俺は与えられた音楽はすべて暗譜で指揮出来るように、そのオーケストラをすべて写譜して、家に帰ってからも、遅くまでその学習や練習をやってた。
コンデンススコアしかない楽譜は、パート譜を集めてフルスコアを作り、俺は俺で、毎日遅くまで音楽と格闘してた。
俺なりに、努力はかなりしたつもりだ。
そんな中で、今つきあってる2人は、俺から怒られたことが一度もない。
それは、こいつらも人一倍練習し、俺の言わんとすることを、事前に理解していたから。
人間の付き合いは、こうしたバランスってものがあるのだと思う。
どこかそれぞれがお互いを尊敬しあうだけでなく、対等になれる知識と心のバランスが合わさって、はじめて友好な関係になれるような気がする。
こいつらが、練習もしない、てんでダメな音楽知識だったら、俺はとっくに友達を辞めてたと思う。
2人のなかでも、心臓の病気をかかえてるNとは、けっこうよく飲むが、やつは学生時代にはドラムメジャー兼副指揮者だった。
オーケストラしか知らなかった俺に、吹奏楽の良さを教えてくれたのもこいつ。
もうひとりのAは、大学で指揮者兼ドラムメジャーをやってた。
それが夢だったらしいが、高校のときには、俺とNで奪った形になってた。
それは後で知った。
ただ、昔ばなしが出来る仲間ってだけでなく、専門的な話を振っても、ある程度対応できる知識が俺たちにはある。
それは他の価値観でも一緒。
懐かしいので、つい昔話になった。
そういう今だ高飛車の俺が、こいつらに今回はケチョンケチョンだった。
お前があからさまに、偉そうにやったから、結局クビになったとか(笑)
Nは俺のことを心配して、会津行きを最初から反対してた。
身体まで壊したのだから、もういいから帰ってこいと言ってくれたのも、Nとかみさんだけだったしね。
かみさんも、あんたたちは45年もつきあってるから、私が知らないこともたくさん知り合ってる仲だからとよく言う。
昨日の飲み会では、俺の歴代の女遍歴の話をNがしだしたので、いいのか?俺もお前の女は良く知ってるんだぜ?と、言うところで…話は笑って終わる。
懐かしだけの時間も、たまには悪くない。
Nと俺がいきつけの、赤羽の町中華で、3人でけっこう飲んだ。
昨年俺が会津に行く前に来たときには、俺のボトルが行方不明だったが、今回見つけることができた。
昨年は、3月と6月に来たかな。
ここは餃子もおいしいが、焼きそばが特に美味しかった。
どれもおいしいお店。
三人なので、ほとんどを大盛りにしてくれて、過剰サービスでお腹がパンパンだった(笑)
カラオケでは、昔の吹奏楽で演奏した曲を、3人で歌った。
騒いで歌える唯一の連中だ。
これから先、何年こんな馬鹿騒ぎをやれるかわからないが。
喧嘩もしたけど、不器用にしか生きられない俺の、大事な仲間だと思った。