ブリブリのさらなる人生

無職からどう復活し、その先まで…

新生活日記 11 ホテル経理から電話

1月11日。
今日はとりあえず家での手続きも終わったので、あとは離職票や、雇用保険証、源泉徴収票が届くのを待つだけとなった。

それで、昨日引っかかってた、ディアゴの組み立てを早々はじめたが、広島の友達から電話があって、その後どうした?とかの話になった。
あっちはあっちで、また色々あって、もう当分は会えないねって話になって、少し残念だが仕方ない。

で、電話が終わったらすぐ、ホテルの総務Sから電話がかかってきた。
俺が保険証を返してないから、返してくれってことだった。
それは忘れてたは…と。

で、問題の書類は送ったか?って言おうと思ったら、俺の保険証の他に、俺の親の保険証も2枚発行してるから、3枚戻せと言って来た。

そんなの最初からもらってないし、いったいどうなってるのか、わからないから説明しろというと、面倒くさそうに、それは後でと言われ電話を切られた。

俺も、保険証を戻さないとならないので、すぐ郵便局へ行き簡易書留で送った。

家に戻るとまたすぐ野郎から電話があって、保険失効証明を送ったので、それで国民保険の手続きをしろと言われた。
またしても、すぐ電話を切られて、これはいろいろ親に聞かないとならないが、これまでも親は扶養に入ってたけども、保険証のことに関しては聞いてなかったので、俺もうかつだったかなと思った。

2人とも80歳過ぎてる後期高齢者なんで、別に俺の方の手続きじゃないと思うんだけどね。
一応、確認のために、あとで市の方に出向いたら来てみる。

昼にはスパゲティーを作って、そのまま夕方まで、溜まってるディアゴのつづきをやった。

隣で、市の井戸の工事をやってるのだが、監督か誰か知らないが、部下を怒鳴りつけ、態度も悪く、聞こえてくる怒号でほんとうに、気分が悪くなる。

市に言おうかなと思ってるんだけども、一緒にやってる人も、こんなのと仕事してたら、やってられないと思うだろうな。
この偉そうなのも、最初は駆け出しだったと思う。
いつからこんなになったのか?って。

最初から、こんなでなかったはずなのに、偉くなると知らないうちに、横柄で嫌味な言い方になるんだろう。
哀れだ。

それにしても、普通に離職票雇用保険被保険者証、 源泉徴収票をすみやかに送ってくれたらそれで良い。

ところが、前に書いた通り、Sは、他の会社との掛け持ちで、週に3日しかホテルに顔を出さない。
だからって、滞っていいってわけではないが、結論から言うと、出社したのが1月10日で、それから俺の手続きをはじめたってことだから、それじゃ、決められてる14日以内の手続きなんて、俺が出来るはずが無い。
郵便物は、速達でも会津若松は2日かかるんだからね。

11日にああだこうだやって、とりあえず書類一つ送りましたって言われても、届くのは保険の方だけでしょ?
離職票とか、いったいいつ到着ですかね?

何度も言って恐縮だが、このSは、俺に説教するがごとく、退職時に散々説得と称して、自分の自慢談義を繰り返した。
その中で、自分の親が病気で、福島市内に入院してたときにも、片道2時間かけて病院へ行き、2時間かけて戻って会社の仕事をやって、責任はそうやって全うするもので、俺のように、次の会社も決まってないのに、家族もいるのに、平気で退職する人間の、非常識さには呆れる…と言ってのけた。

からしたら、会社を掛け持ちするがあまり、1月10日まで俺の書類を放置し、正月休みに興じてる無神経さの方が、非常識を超えて、人間としてカスだと思うけどね。